相模原障害者施設殺傷事件について思うこと

最近、テレビでこの事件が取り上げられているので自分の思うことを書いていこうと思う。
事件についてはこちら

相模原障害者施設殺傷事件(さがみはら しょうがいしゃしせつ さっしょうじけん)は、2016年(平成28年)7月26日未明、神奈川県相模原市緑区千木良476番地にある、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元施設職員の男A(犯行当時26歳)が侵入し、所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件である
相模原障害者施設殺傷事件

まず、殺人を起こした犯人は許されるべきではない、これは前提。ただ、犯人の思想、考え方などは自由なものとして共感する人がいようがいまいが、それは自由だと思っている。

テレビでインタビューを受けている人が、「犯人の考え方には共感ができる人がいると聞いて驚いている」という意見を聞いたけど、人間ってそんなもんだ。自分には「関係ない」、「見えない」「自分の邪魔をする」とかのものに対しては共感できない、理解できない人が結構いるのではないだろうか。

もちろん、外に対しては、あくまで善意をもった人の意見を言う。ただ内心では当然何を思っているかわからない。この内心で思ってる本音が曲者だと思う。まがりなりにも子供のときから学校や社会生活を送る中で常識、正論、表向けに見せる理想の姿を学んでくる。だから、外向きへの意見は完璧だろう。でも匿名のSNSとかでは物騒な意見が飛び交っている。それが、現実。

人間は自分中心に、自分の周りしか見ないのだと思う。例えば、今はデフレで安すぎる商品が世にあふれてるがその裏でどれだけブラックな環境で働いている人がいるか、「食べ物を無駄にするな、世の中には満足に食べられない人がいる」とか言われてきたけど、そのことを意識して行動してる人はまずいないだろう。それは、自分から見えないから、それだけのこと。

障害者についても、「自分の近くにいない」「自分には障害がないから関係ない」「自分は障害者じゃないから気持ちがわからない」から事件が起こっても、騒ぎは一過性のものですぐ忘れ去られる。
私は障害を多少もってるから少しは気持ちがわかるが、それでも他人の気持ちはわからない。世間はそういうもんだと思ってる。

今回はたまたま残虐な事件だからフォーカスされてるけど、世の中、普通の人がゆっくり、徐々に死に向かわされているような現実が、見えないだけで確実にある。こんな社会状況で他人の、それも障害を持った人のことまで頭がまわらないのが現実だと思う。

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